プロセキュート
【桂冠塾第2回】主な実施内容
テーマ : 『太陽の子(てだのふあ)』(灰谷健次郎)
実施日時: 2005年5月28日(土)15:00〜17:00
第2回目にして、この書籍はことのほか重くのしかかるテーマだったのかもしれない。その一方で全国の小学校での読書感想文等の課題図書に挙げられているように多くの子供達に読まれているのもこの本である。

初版が出されたのは昭和53年(1978年)9月。私がこの本と出会ったは出版されてまもなくの高校1年生の時であった。当時、高校の文芸部に在籍していた私は、尊敬していた1年先輩の部長から「この本読んでみて」と言われて紹介されたことを鮮明に覚えている。一気に読み切ったその時の衝撃的な読後感が今も忘れられない。

あれからおよそ27年。今回改めて読み返してみて様々な感情が湧き上がった。変わってしまったもの、変わらず持ち続けているもの、さらに自分の中で増幅されてきたもの...。
この作品には解説は必要ない。多くの友に読んでもらいたい珠玉の一冊である。

あらすじ: 戦後30年が過ぎた昭和50年、兵庫県神戸の港町が舞台である。とは言ってもしゃれた洋館通りとは正反対の労働者の町だ。
主人公はふうちゃん。小学校6年生の女の子だ。両親は沖縄出身で沖縄料理の店「てだのふあ・おきなわ亭」を営んでいる。
「てだのふあ」とは沖縄の言葉で「太陽の子」の意味。本のタイトルでもある。

話はふうちゃん、おとうさん、おかあさんの3人でピクニックに行っているかのようなシーンから始まる。しかしそれはピクニックではなくおとうさんが精神的な病(やまい)の診察を受ける病院へ向かう道程であった。おとうさんはなぜ心を病んでしまったのか。いやそもそも心は病んでいるんだろうか。それとも何かをしようとしているのか・・・。

てだのふあ・おきなわ亭には沖縄出身者やその友人達が集ってくる。ギッチョンチョン、ろくさん、ゴロちゃん、ギンちゃん、そしてキヨシ少年・・・。梶山先生や桐道さん、れい子さん、とき子ちゃんとの交流がみごとに絡んでいく様はまさに人生そのものを感じさせる。キヨシ少年のお母さんの生き越し方は沖縄の持つ歴史の一端に過ぎないのかもしれない。

沖縄という歴史の刻印を通しながら、人の心の病と向き合いながら、本当の意味での人の優しさとは?誠実とは?真剣に生きるということは?…そんな、ある意味でとても重たいテーマを灰谷健次郎氏は難しくない言葉で問いかけてくる。

「肝苦りさ」「てだのふあ」...沖縄の言葉の持つ意味も深いものがある。そうした思いを今の沖縄の世代たちも血肉で継承していることを深く感じた。以前は沖縄の友人は誰もいなかったが、今は少ないながらも交遊する友もいる。
10代に読んだ感覚がよみがえる。その頃の思いと違いは生じていないか。まったく同じということはありえない。ではその違いは喜ぶべきものになっているか、それとも...?

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