プロセキュート


【第32回】開催内容
今月の本: 『貧しき人びと』(ドストエフスキー)
実施日時: 2007年11月24日(土)14:00〜17:00
今月の会場: 西武池袋線石神井公園駅・徒歩1分
石神井公園区民交流センター 第二会議室
東京都練馬区石神井町2-14-1
参加費 : 350円(会場費・資料コピー代に補填します)
懇親会 : 終了後希望者で懇親会を行います(会費2500円程度)
今月はドストエフスキー作『貧しき人びと』を読んでみたいと思います。ドストエフスキーには『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』など長編の代表作品が並んでいます。特に近年、新装丁での『カラマーゾフの兄弟』がベストセラーに上がるなどブームにもなりました。
まだまだ読みづらい大作というのが私たちのロシア文学への正直な認識かもしれません。
『貧しき人びと』はドストエフスキーの処女作であり、短編でもあるので最初に読む作品として推奨されている方も多いようです。

登場人物は少し年配になっている下級官吏マーカル・ジェーヴシキンと幸薄い少女ワーレンカ。二人の往復書簡という形式で構成されています。
純愛小説といえば純愛小説ですし、中年を過ぎて結婚に恵まれない独身男性の悲哀といえば悲哀に満ちた小説でもあり、時代が移り変わっても、人が抱える問題は変わりないことを痛感させられもします。
それぞれの人が、それぞれの立場でじっくりと読んでみたいと思う一書です。
皆様のご参加お待ちしております。


http://prosecute.way-nifty.com/blog/2007/11/32_9788.html

【当日の話題など】
当日参加された方は読了されていましたので、時間の殆どを読了後の感想や疑問点等のディスカッションに費やすことができました。
ドストエフスキーという作家は、日本での評価はともかく、祖国ロシアでの評価はどうなっているかなと興味を覚えた。「日本ではともかく」と書いたのは、「ロシア文学は難しい」という既存イメージが固まっている感もあり、ドストエフスキー作品を読んでいる人が少ないのでないかとおもうからである。

さしずめ日本時作家でいえば夏目漱石か横溝正史、松本清張といった評価だろうか。
さらっと読んでもおもしろい。しかし作品の底流に流れる作者の思いに気持ちを遣りながら読み進めると、深く感じ入るものがある。そんな思いを抱く作家である。
ブログでも指摘したが、ドストエフスキーという作家が描き出す作品が「当時の思想背景に影響を受けた」という形跡は見当たらない。
大半の創作活動のモチーフは「ネワ河の幻影」から出発している。
よくいえば、心的体験を生涯をかけて表現し続けたといえる。
あえて逆の見方をすれば、自己の世界にのみ創作活動の源泉を求めたにすぎない。
これがドストエフスキー作品の特異で独特の世界を創出している由縁のひとつではないだろうか。
【ドストエフスキーという人物と作品の背景】
本名は、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(:Фёдор Михайлович Достоевский)。
1821年11月11日(ユリウス暦10月30日)〜1881年2月9日(ユリウス暦1月28日)。
レフ・トルストイやアントン・チェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する小説家、思想家。当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、殊に正教に基づく魂の救済を訴えた。
実存主義の先駆者とも評される。
モスクワの貧民救済病院の医師の次男に誕生。15歳まで生家で暮らす。
1846年、処女作『貧しき人々』を批評家ベリンスキーが「第二のゴーゴリ」と激賞、華々しく作家デビュー。その後『白夜』『二重人格』は酷評され、ミハイル・ペトラシェフスキーが主宰する空想的社会主義サークルのサークル員となったため、1849年に官憲に逮捕。死刑判決を受けるが処刑間際で特赦が与えられ1854年までシベリアで服役。兵士勤務後1858年にペテルブルクに帰還。この間に理想主義者的な社会主義者からキリスト教的人道主義者へと思想的変化があった。その後『罪と罰』を発表、評価が高まる。

自身の賭博好き、持病のてんかんが創作に強い影響を与えたといわれている。賭博の借金返済のため出版社と無理な契約をして締め切りに追われる日々を送った。過密スケジュールのため『罪と罰』、『賭博者』等は口述筆記の作品である。
速記係のアンナ・スニートキナはドストエフスキーの2番目の妻となる。
小説以外の著作として『作家の日記』がある。雑誌『市民』で担当した文芸欄コラム(のちに個人雑誌として独立)であり、文芸時評、政治社会評論、エッセイ、短編小説、講演原稿(プーシキン論)、宗教論(熱狂的なロシアメシアニズム)を含み、ドストエフスキー研究の貴重な文献となる。その中で「トルストイのような作品を書きたい」と賛辞を送ったこともあるが、トルストイから連絡があったような事実は確認できなかった。
晩年1880年に集大成の『カラマーゾフの兄弟』を脱稿。1881年1月28日に家族に看取られ60歳で逝去。残した著作は35篇で、短編も少なからず残されている。
【作品が書かれた時代背景】
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(:Фёдор Михайлович Достоевский)
1846年 本作品を発表(23歳)。
1844年1月 「ネワ河の幻影」心的体験
1840年代のペテルブルクの民衆の貧困

ロマノフ朝ロシア
▼アレクサンドル1世(在位1801〜25年)
→国内改革の着手と侵攻の時代
▼ニコライ1世(在位1825〜55年)
→ロシア・トルコ戦争(1828〜29年)
→デカブリストの乱(貴族将校の反乱/ロシア社会の開明化、立憲君主制、共和制を要求)
→第三部(秘密警察)による自由主義運動の取り締まり
▼アレクサンドル2世
→1861年 農奴制を廃止(農奴解放令)

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